4 甘受甘受今朝は、夜中用の「抗うつ剤」「風邪薬」を飲みました。 触れれば爆発しそうな『純粋な怒り』が鳴りを潜めます。 以前に『ネットで知り合った高校生同士の心中事件』がありました。 その女性が、男性に送ったメールが新聞に公表されています。 その短歌を模した文体には『死を誘う妖しい魅力』に溢れていた鮮明な記憶があります。 それが思い出されてなりません。 現在は、職場復帰後、以前のように「風邪」で休み勝ちになり、再び「長期療養」との天秤を計っている状態です。 精神の幾らかは「うつ」の影響下にあります。 『「うつ」の観点から世の中や自分を見つめ直す』ためには良い機会です。 かつて『中島らも氏』が書いていました。 『仕事用に借りたマンションから飛び降りようとする自分が抑えきれない。』 『如何にか知人に電話すると飛んできた。』 『知人が無理やりに「精神安定剤」を飲ませてくれた。』 『今までの死への衝撃が、忽ちに消え去ってしまう。』 『「助かった」という考えと共に、「薬」程度で激変してしまう「精神」に不審を抱いてしまう。』 実感します。 あの『押さえきれない衝動』『純粋な怒り』『苛立ち』が、習慣の『抗うつ剤』により、『通り雨』のように過ぎ去ってしまいます。 『物を買う』より『精神的な豊かさ』を求め、独り世界を彷徨うことを選択した「杉の花粉」にとっては過去を否定することに繋がる大きな問題・経験です。 ただ今は『薬』の影響を甘受しておきましょう。 他に方法が思いつきませんので、取り敢えず生きていかなくてはなりません。 『死を選択する価値観』と『生を選択する価値観』 どちらが優れていて、どちらが誤っているのか。 今の「杉の花粉」では判断できません。 それは、『自己の死』さえも『自己幸福の実現』の範疇に入れていた「杉の花粉」の判断基準にないものだからです。 それは、『経済的価値』『効率性』や『同情論』『宗教観』から判断する問題ではないと「杉の花粉」の無意識層が囁きます。 『死を選択する価値観』と『生を選択する価値観』 それは、『純粋批判』による選択であろうと信じます。 先述した『中島らも氏』の文章ではありませんが、『絶望』も『高揚』も『快適』も『苛立ち』も全て確固たるものではなく、単に脳細胞のニューロンに生じる電気信号に過ぎない恐れを感じます。 『避けようのない死』や『避けようのない生』を自己で選択する場合には、「どれ程の『絶望』や『高揚』でも充分でない」ようです。 『衝動』が一番近いような気がしますが、それは自己の選択ではないでしょう。 『厳頭之感』 「悠々なる哉天襄、遼々なる哉古今、五尺の小躯を以て比大をはからむとす、ホレーショの哲学ついに何等のオーソリチーを値するものぞ、万有の真相は唯一言にしてつくす、曰く”不可解”我この恨を懐て煩悶終に死を決す。既に厳頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし、始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。」 藤村操の「辞世の句」です。 『絶望』でも『高揚』でもなく、『死』すら意識することのない『自殺』。 世俗の思考から切り離された、寥々たる『純粋批判』にのみ『自殺』する理由が隠されているような気がします。 ただ今は『薬』の影響を甘受しておきましょう。 そして何時か『純粋批判』で自己決定した時の『死』が、訪れるのを只管に待ちながら。 |